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XX 幻想を超えて

このカードの蝶は外側にあるもの絶えず動いているもの、
現実ではない幻想を表わしています。蝶の背後には意識の
顔があり、内側を、永遠なるものの方を見ています。両眼のあいだのスぺースが開いていて、そこにはスピリチュアルな展開の蓮(ロータス)と、覚醒の昇る太陽が現われています。この内なる太陽が昇ることで、瞑想が生まれるのです。このカードは、現実とはなにか探して外を見るのではなく、内側を見ることを私たちに思い出させてくれます。外のもめごとに関心を集中させると、私たちは判断する
ことに巻き込まれてしまうことがよくあります。
これは良いけれど、これは悪い、これは欲しいけれど、あれは欲しくない、と。こうした判断は、私たちを幻想、眠気、古い習慣とパターンの罠にはめたまま、放してくれません。
自分の独断的なマインドを落として、内側へ入りましょう。そこでこそ、自分のもっとも深い真理、夢と現実の違いがすでに知られているところへと、くつろいでいくことができます。

夢と現実の区別はこれしかない。現実は疑いを許すが、夢は疑いを許さない……。
私にとって、疑う能力は人類への最大の祝福のひとつだ。宗教は疑いの根そのものを切りつづけてきたのだから、これまでずっと敵対してきた。
そして、彼らがそうしているのにはわけがある。
彼らは自分たちが説きつづけている幻想を人びとに信じてもらいたいのだ……。
なぜ、ゴータマ・ブッダのような人びとは、全存在あなた
の目撃している自己以外は、あなたの覚醒以外は全存在がただはかなく、夢と同じものでできていると強く主張したのだろう?彼らは、この樹々はここにはないと言っているのではない。この柱はここにはないと言っているのではない。「幻想」という言葉ゆえに、誤解してはいけない……。
それは幻想と訳されてきた。が、幻想は正しい言葉ではない。幻想は存在していない。現実は存在している。
まさにその中間にあるのがマーヤ
それは、ほとんど存在している。
日常の活動に関するかぎり、それは現実として捉えられる。
究極の意味においてのみ、あなたの光明の頂きからは、それは現実ではなくなる、幻になる。
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