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流れと共に行く

このカードの人物は水のなかで完全にくつろぎ、楽にして、水の流れに任せています。
彼は怠惰になったり眠くなったりすることなく、受け身で受容的であるアートをマスターしています。
「それはいやだ」とか「別の方向に行きたい」という考えなどまったくなく、生の流れに身をゆだねています。
生という水に入って浮かぶか、それとも流れをさかのぼって泳ぐのか、生のあらゆる瞬間ごとに選択の余地が残されています。
リーデイングでこのカードが現われたときは、あなたは今、浮かぶことができるということを示しています。
生はくつろぎを支えてくれて、まさに生の望むところに自分を連れて行ってくれるのだと信頼して。
信頼とくつろぎというこのフィーリングがさらにさらに成長していくのを許しましょう。
あらゆることは、まさにそうあるべきように起こっています。
~♪~
「水になりなさい」と私が言うとき、私は流れになることを意味している。
澱んだままではいけない。
動くがいい、しかも、水のように動くがいい。老子は言っているタオの道は水の流れる道だ。
それは水のように動く。水の、あるいは川の動きとはなんだろう?その動きには素晴らしいところがいくつかめる。
ひとつに、それはつねに深みに向かって動く、もっとも低い地をつねに探し求める。
それには野心がない。最初の者になろうと渇望することは
けっしてない。
最後の者になりたいのだ。
覚えておくがいい。イエスはこう言っているここで最後の
者こそ、私の神の王国では最初の者となるだろう。彼は、タオの水の流れる道について語っている言及してはいないが、それについて語っているのだ。
最後の者であるがいい、野心なくあるがいい。
野心とは、上に向かつて行くという意味だ。水は下に行く。
もっとも低い地を探す。それは何者でもないことを望む。
自分はユニークだ、例外だ、特別だと宣言することは望まない。工ゴの観念はない。
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