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Ⅵ☆恋人達

私たちが愛と呼ぶものは、実際にはかかわることの、地から空へ届くまでの、スぺクトル全体のことです。もっとも地に根ざしたレべルでは、愛は性的な魅力です。
私たちの多くは、そこで行き詰まったままです。それは、私たちの性欲が、私たち自身の条件づけによって、あらゆる種類の期待と抑圧の重荷を負わされているからです。
実のところ、性愛のもっとも大きな「問題」は、けっして長つづきしないことです。
この事実を受け容れてこそ、私たちは性愛のなんたるかをほんとうに祝うことができますー。
それが起こっているときは喜んで迎え入れ、起こらなくなったら感謝して別れを告げましょう。
そうすれば成熟するにつれて、私たちは性欲を超えて存在する愛を体験しはじめ、相手のユニークな個性に敬意を払うことができるようになります。
パートナーはしばしば鏡としての役割を果たし、まだ見たことのない、より深い自己の局面を映し出し、私たちが全体になるのを支えてくれていることがわかってきます。この愛は、期待や要求にではなく、自由に基づいています。その翼は、すべてをひとつとして体験する宇宙の愛へ、私たちを高く高く運んでいきます。
~♡~
この三つのことに気をつけなければならない。もっとも低い愛はセックスー肉体のものーそして、愛がもっとも高く洗練されたものが慈悲。セックスは愛より低く、慈悲は愛より高い。
愛はまさにその中間にある。愛とはなにかを知っている人びとは、ほとんどいない。
99パーセントの人びとは、不幸なことに、性欲が愛だと思っているーそうではないのだ。
性欲はひじょうに動物的なものだ。
たしかに、性欲には愛へと成長する潜在能力がある。だが、ほんとうの愛ではなく、潜在能力にすぎない。
あなたが気づき、油断せず、瞑想的になったら、セックスは愛へと変容することができる。そして、あなんのその瞑想的であることが完全なものに、徹底したものになったら、愛は慈悲へと変容することができる。セックスは種子、愛は花、慈悲は香りだ。
仏陀は慈悲を「愛プラス瞑想」と定義した。
あなたの愛が相手を求めるただの欲望ではないとき、あなたの愛がただの必要なものにすぎないのではないとき、あなたの愛が分かち合いであるとき、あなたの愛が乞食の愛ではなく皇帝の愛であるとき、あなたの愛が見返りになにかを求めているのではなく、ただ与えるためのー与えるという、純然たる喜びから与えるための準備が整ったとき、そのときに愛に瞑想を加えると、純粋な香りが放たれる。それが慈悲だ。
慈悲こそが最高の現象だ。
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