記事一覧

完成

ジグソーパズルの最後のひとかけが、しかるべき場所、第三の眼の位置、内なる洞察の場に置かれようとしています。
果てしなく変化する生の流れのなかにあってすら、これで完成というポイントに行き着く瞬間がときにはあります。
こうした瞬間に、私たちは絵全体を、長いあいだ気になっていた小さな断片すべてが組み合わされた全体像を読み取ることができるのです。
仕上げてしまったら、私たちにできることは、この状況が終わることは望んでいないので絶望してしまうか、それとも、感謝して、生には多くの終わりと多くの新しい始まりがあるという事実を受け容れるか、そのどちらかです。
なんであれ、これまであなたが時間とエネルギーを注いできたそのすべてが、今、終わろうとしています。
それを完成させることで、あなたは新しいなにかが始まるためのスべースをきれいにかたづけて準備することになるのです。
この間合いを両方にー古いものの終わりと新しいものの到来を祝うことに使いましよう。

ものごとを最後まで言わないことーこれが禅のやり方だ。
これは理解されなければならない。
ひじょうに意義深い方法論だ。
すべてを言わないということには、聞き手にそれを完成させる機会を与えるという意昧がある。
答えはすべて未完成だ。
マスターはあなたにただ方向を与えているだけだ……。
あなたが行き着くところにまで行き着いてしまえば、なにが手元に残ったのかがわかるだろう。
だから、たとえ誰かが禅を知的に理解しようとしても、失敗することになる。
それは問いに対する答えではなく、答え以上のなにかだ。
それは現実(リアリティ)そのものを指し示している……。
仏性は遠くにあるなにかではないーあなたの意識そのものが仏性だ。
そして、あなたの意識は、世界を成り立たせているもめごとをその場で見ることができる。
世界は終わっても、鏡は残るーなにもないことを映しながら。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント