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Self-ACCEPTANCE

あなたは、あるがままの自分以外の誰にもなれません。だからリラックスすることです! 存在はあるがままのあなたを必要としています。

 聞いたことがある——。

 ある王が庭園に出かけてゆき、しおれて死にかけている樹、灌木、そして花を見つけた。 樫の樹が、自分は松の樹ほど高くなれなかったから死ぬのだ、と言った。王が松の方を見ると、それは倒れかけていたが、それは松の樹が葡萄のように実をつけることができなかったからだった。そして葡萄の樹は、薔薇のようには咲くことができなかったので死のうとしていた。そして王は、いつものように新鮮に咲いている一本の草花、三色すみれを見つけた。たずねると、答えが返ってきた——。「あなたが私を植えたとき、私は、当然あなたが三色すみれを望んでいるのだと受け取りました。もしあなたが樫の樹を、葡萄の樹を、あるいは薔薇の樹をお望みならば、それらをお植えになったでしょう。ですから私は、自分である以外にはどうしようもないのですから、そうあるべく私の能力のかぎりをつくそうと考えたのです」

あなたがここに在るのは、この存在があるがままのあなたを必要とするからなのだ! さもなければ、ほかの誰かがここにいるだろう。あなたは、あるがままのあなたで、まったく欠くことのできないなにかを、非常に根本的ななにかを満たしている。

なぜあなたが仏陀のような人にならなければならないのだ? もし神がもうひとりの仏陀を望んでいたら、神は自分で望むだけ多くの仏陀を産み出すことができたはずだ。神はたったひとりの仏陀しか産み出さなかった。しかもそれで充分だった。それ以来、神はもうひとり別の仏陀を、あるいはもうひとり別のキリストを産み出してはいない。

そのかわりに神はあなたを創った。宇宙があなたに抱いている尊敬をちょっと考えてごらん! 仏陀ではなく、キリストではなく、クリシュナではなく、あなたが選ばれているのだ。

 彼らの仕事は終わった。彼らは彼らの芳香を存在に与えた。いまやあなたが、あなたの芳香を与えるためにここにいる。

あなた自身をちょっと見てごらん。あなたはあなた自身でしかいられないのだ......あなたがほかの誰かになれるという可 能性はない。あなたはそれを楽しんで開花することができる。あるいはそれを非難して、しおれることもできるのだ。 

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