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マスター

禅のマスターは他者に対するマスターではなく、自分自身のマスターです。ーそして、自分をマスターしているというそのことが、彼のあらゆる仕草とひとことひとことに反映しています。
彼は伝える教義を持っている教師でもなければ、神と直接的なつながりを持っている超自然的な使者でもなく、まさに人間ひとりひとりの内側に潜んでいるもっとも高い可能性の生きた証となった人なのです。
弟子は、マスターの眼のなかに自分自身の真理が映し出されていることに気づきます。
マスターの静寂に満ちた臨在のなかで、弟子はもっと楽に自分自身の実存の静寂へと落ちていくことができます。
マスターのまわりに自然に形成される探求者たちのコミュニティーは、ユニークな個人それぞれが自分自身の内なる光を見いだすのを支えてくれるエネルギー・フィールドになります。
いつたんその光が見つかったら、外側のマスターは触媒、内なるものの目覚めを喚起する仕掛けにすぎなかったことを弟子は理解するようになります。
ここで、私はあることを言いたい。
これは私が生涯にわたって秘密にしてきたことだ。
私はいつも、誰のマスターにもなりたくないと思っていた。
……マスターであるということは、ひじょうに奇妙な仕事だ。
ハートに関することを議論と論拠、合理性、哲学によって人びとに納得させなければならない。
頭の働き(マインド)をハートの召使として使わなければならない。マスターのワークは、あなたの全エネルギーがハートへと入っていくように、あなたからマインドを取り去ることだ。
要点がわかるかね?「マスタ一」という言葉は、弟子、信奉者という発想を生み出す。
弟子、信奉者がいなければ、どうしてマスターがありうるかね?だが、「マスタ一」という言葉のスピリチュアルな意味は、自分自身をマスターするということだ。
それは、どんな信奉とも関係ない。群集に依存してはいないのだ。マスターはただ独りでいられる。
私が話している「新しい人間」は、自分自身のマスターになる。
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